5000形


横澤電鉄5000形は、1995年から2006年にかけて製造された通勤型車両。
編成
5000形広軌線用6両編成(3M3T) 編成図 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
形式 | クデハ5200 | デハ5100 | サハ5250 | デハ5000 | サハ5150 | クハ5050 |
パンタ | ◇ | ◇ | ◇ | |||
電装 | Mc | M | T | M | T | Tc |
号車 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
方面 | ←御ヶ崎・鶴浜 | 関川・藤沢→ |
5000形広軌線用4両編成(2M2T) 編成図 | ||||
---|---|---|---|---|
形式 | クハ5450 | デハ5400 | デハ5300 | クハ5350 |
パンタ | ◇ | ◇ | ||
電装 | Tc | M | M | Tc |
号車 | 4 | 3 | 2 | 1 |
方面 | ←御ヶ崎・鶴浜 | 関川・藤沢→ |
5000形広軌線用2両編成(1M1T) 編成図 | ||
---|---|---|
形式 | クデハ5800 | クハ5850 |
パンタ | ◇ | |
電装 | Mc | Tc |
号車 | 2 | 1 |
方面 | ←御ヶ崎・鶴浜 | 関川・藤沢→ |
5000形狭軌線用6両編成(3M3T) 編成図 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|
形式 | クハ5750 | デハ5700 | デハ5600 | サハ5650 | デハ5500 | クハ5550 |
パンタ | ◇ | ◇ | ◇ | |||
電装 | Tc | M | M | T | M | Tc |
号車 | 6 | 5 | 4 | 3 | 2 | 1 |
方面 | ←御ヶ崎・鶴浜 | 関川・藤沢→ |
5000形概説
旧世代淘汰の申し子
1980年代の横沢電鉄では800形や1000形といった全鋼製で抵抗制御の車両が通勤輸送を支えていましたが、それら車両の老朽化は著しいものでした。年々増加する乗客と喜多夢良の湿気た空気が、車両の老朽化に追い打ちをかけていました。
本線系の旧型車の一掃、そしてメンテナンス性・経済性・輸送力に優れた新型車への置き換えが何よりの急務となりました。1989年、横沢電鉄は新技術のノウハウおよび最新機器と地理的条件との相性を抑えるために4000形を投入。その営業実績を観察することで量産化への見通しを立てました。
横沢電鉄の悲願は新形式5000形に託されることとなりました。1995年に、一次車の登場を迎えます。
初年度は2編成8両の製造。外見上の特徴としてはJR205系や209系に倣ったFRP製の白い顔が目立ちます。この白い顔は二次車以降や更に6000形にも承継されることとなります。なお前面扉や灯具類の位置は4000形から大きく変更されていません。
5000形は目立った故障もなく安定して走行しました。本線系電車の量産形式として認められるところとなり、順調に増備を重ねていきました。形式全体としては1995年から2006年まで11年間の製造となりますがその中身は3つの製造時期に分けられ、一次車から三次車として区分されます。
一次車は1995年~97年の製造。450形、500形を置き換えたほか、香坂線との直通増発分としても製造されました。同時期に製造された香坂線のK200形は一次車と同一の機器構成をとっています。
二次車は1999~2000年の製造。100形を置き換えました。また、インバータ素子がGTOからIGBTに変更されました。
三次車 アルミ車体でさらなる軽量化
旧型車の置き換えはいよいよ終盤へ。本線系の主力700形、藤関線直通のパイオニア800形を置き換えるために、2004~06年にかけて三次車の製造が行われました。
三次車で特筆すべきは車体材質の変更です。ステンレスからアルミとなり、側面のスタイルが一新されました。それに合わせて前面デザインも改められました。このアルミ車体への変更は、横沢電鉄に先んじてアルミ車体を採用した香坂線K200形の運用実績を見て決定したと言われています。
また三次車からパンタグラフがシングルアームに変更されています。
このような流れでもって5000形は11年間の増備で5形式を淘汰しました。横沢電鉄の車両で最多両数を誇る形式ともなり、その中でも三次車は横沢電鉄通勤車の顔として定着するに至っています。